A34350_R700

Matchlock

Signed : Shin-kin Kitae  Katai Kyosuke-saku In the 2nd month, Ox, the 6th calender sign of Bunsei

Brass ground, AOI crest/Sho-Chiku-Bai (symbols of Happiness and wealth) design

Sukisage and Kebori carving, Copper/Silver Iroe inlay

Bunsei 12 (1829)

Entire length 53.6 cm Barrel length 31.0 cm Caliber 2.6 cm

Sendmail

片井京助は幕末の造兵家,発明家。 諱は直徹。信濃(長野県)軽井沢の農民柳沢伝五郎の子として生まれ,佐久郡八満村の鍛冶片井宗造の養子となって松代に移住,藩主真田家の御用鉄砲鍛冶となる。文政年間(1818~30)に「早打鉄砲」を考案した才が認められ,江川太郎左衛門の門に入って洋式砲術を学ぶ機会を与えられた。嘉永年間(1848~54)に入ると雷汞を発火薬に利用した傍装雷火銃を発明し,それを用いる直徹流砲術を創始。またペリーの部下が所持するホール式元込め銃からヒントを得た迅発撃銃のほか,雷管式4連発銃や神槍銃あるいはスプリング式の空気銃なども製作した。
この太短筒は文政十二年の年紀があることから片井京助四十四歳の作である。真金とは黄銅(おうどう)とも呼ばれ、銅Cuと亜鉛Znの合金で特に亜鉛が20%以上のものをいう。真鍮(しんちゅう)と呼ばれることも多い。日本では、黄銅の製法は18世紀、江戸時代になって普及した。青銅に比べて歴史が短いのは亜鉛の沸点が約900℃と低く、開放式の還元法では単体が得られなかったとされる。適度な強度、展延性を持つ扱いやすい合金であるが、高度の精練技術が必要なことから高価な材料であった。
葵紋、吉祥の松竹梅双鶴が鋤彫、毛彫、山銅・銀色絵象嵌されていることから徳川家への献上品とおもわれる。
生年: 天明五年(1785)
没年: 文久三年四月十日(1863.5.27)

出典:朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版