T23975_23979(S6005)

大小一腰 大 銘 伯耆守平朝臣正幸 寛政十年午八月 小 銘 伯耆守平朝臣正幸 寛政七年卯二月 附)黒蝋色塗鞘大小拵

新刀 (江戸時代後期・寛政七年・十年/1795・1798年) 薩摩
大:刃長71.2cm 反り1.7cm 元幅32.3mm 先幅21.8mm 元重7.4mm
小:刃長51.5cm 反り1.4cm 元幅31.9mm 先幅22.8mm 元重7.2mm

特別保存刀剣(大)
特別保存刀剣(小)
特別保存刀装具(大小拵)

参考品

伯耆守正幸は享保十八年(1733)の生まれで俗名を伊地知右衛門といい、父である正良に鍛刀の技を学び、古作の波平伝と相州伝の鍛造を習得し、父祖を超える才能を持った至高の刀鍛冶としての誉れ高く、天明四年(1784)に薩摩藩工に命じられ寛政元年十二月一日、伯耆守を受領して名を正幸と改めた。
ここに紹介する大小一腰は寛政七年と十年の年紀があることから正幸、それぞれ六十三歳と六十六歳の円熟の作で、身幅広く、強固な作りこみは彼の本領であり、先張って切先伸びて、ずしりと重量のある豪壮な大小一腰といえる。小板目肌に杢目を交え青く澄み渡り、地には沸が一面に湧きいでて地景が顕れ、太い沸筋が地および刃縁に絡んで砂流しかかり、沸深く、湾れに互の目主調の刃文は尖り刃を交え、足入り、匂口が頗る明るく澄んで冴わたるなど出色の出来を示す。彼は左が利いたのであろうか、彼の鑢目は浅い逆勝手下がりであり、手持ちの重い作りこみとは逆に茎にはさまで平肉が付かず、頃合の肉置きであることも特徴として挙げられる。本大小一口は、正幸が終生強く私淑したと云われる志津を写したことは想像に容易く、またその作柄に肉薄した彼の傑作と言える。大小揃は共有かつ完存するものとしては極めて稀であり、良質の大小拵は当時のもので簡素ながらも武勇の薩摩藩士の気概を伝える。縁頭赤銅地金唐革包、目貫(大)韃靼人図、(小)蕉図ー赤銅容彫金素銅色絵、小の小柄欠く、大の笄香道具図、鍔鉄地撫角高彫、金銀素銅象嵌山水図。
昨今ご紹介する薩摩新刀大小一口としては至高の出来口を示し、最上の研ぎを施し、附属の拵も共存であることも特筆できる。
金着二重はばき、白鞘