E09403(S7000)

刀 和泉大掾藤原国輝作 豫州松山住 附)青貝微塵塗鞘打刀拵

新刀 江戸時代前期(万治頃/約350年前) 伊豫
刃長 69.3cm 反り 1.6cm 元幅 32.2mm 先幅 23.5mm 重ね 7.3mm

特別保存刀剣

附)青貝微塵塗鞘打刀拵

特別貴重小道具

 

 

剣形:鎬造り、庵棟。身幅が広く平肉が豊かに付いて物打付近の身幅張り中切先が延びる。重量があり、どっしりとした手持ちが頗る印象的。
地鉄:小板目肌がよく詰んで処々に杢目肌を交え地沸が厚く付いて金色冴え、精緻な地景が沸き美しい肌目を織りなす。
刃紋:総体に沸本位で、元を直調に短く焼きだして湾れ、小乱れ、跳び焼がかかり、中頃より焼刃高く、丁子刃が主体となり太い丁子足が刃先に向かって頻繁に入り、足を横切るように太い金線や砂流しが流れて明るく輝き且つ冴えたもので沸の闊達な働きが見事に表出される。
帽子:互の目を二つ焼いて乱れ込み中丸に返る。
茎:生ぶ。鑢目は勝手下がり。茎尻入山形。目釘孔弐個。掃表に長銘で「和泉大掾藤原國輝作」裏には鎚駐地「豫州松山住」とある。
初代の國輝は名を三好太郎兵衛、初銘を「長清」。長国(三好藤四郎)の門と云われるが、実子であろうか。師である長国が松山藩主「加藤嘉明」に抱えられ、安芸から伊豫国に渡り、文録の役では朝鮮に渡り、帰国後の寛永四年(1632)に嘉明の会津移封に従って会津に移住した後も伊豫に留まり、初銘「長清」を「国輝」に改めて、寛文九年に和泉大掾を受領、元禄九年(1696)没、行年七十であった。
摂津の「小林伊勢守国輝」は本作の伊豫初代「和泉大掾国輝」に門人「輝政」を養子として送って系統を移し、國輝は七代まで栄えてる。
附帯の青貝微塵塗鞘打刀拵は、赤銅埋雁図鉄地八木瓜形鍔(銘:山吉兵)、柄は白鮫着黒糸巻(部分にほつれ補修跡あり)、鉄地縁頭虫喰図、赤銅容彫独鈷図、赤銅地鐺。
銀着せはばき、白鞘入