A73138(S5893)

刀 無銘 波平

古刀 南北朝時代 (約650年前) 薩摩
刃長71.3cm 反り2.2cm 元幅29.0mm 元重6.6mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:冠落し造り。庵の棟が低い。寸延びて重ね身幅ともに尋常で踏ん張りがある。腰元で反り、茎にも反りが付いて中間反りが深い。刀身は平地が鎬地に比して広くかつ平肉を削いだ所詮南北朝時代の肉置きをしており凛とした威風を保った原姿を保つ。(刀身全体写真
鍛肌:平地は大板目肌が流れて刃寄りは所謂「綾杉肌」を呈している。刃縁より地沸が立ち上がり沸映りとなる。太い地景が綾杉状に顕れるところがある。
刃紋:鎺元に焼落しがある。刃縁には小沸が厚く、柔らかく積り、浅く湾れた直刃を基調に小互の目、小丁字を交えて小足が頗る好く入る。綾杉状の稲妻や金線、砂流しが頻繁に絡んで、錵の働きが豊富である。上半の物打付近はホツレる刃や二重刃、打ちのけが顕れて、刃中は匂が充満し古雅溢れる。
中心:生ぶ、無銘。茎孔参個、鑢目は鏟鋤。入山形の茎尻。棟丸肉つく。
帽子:表裏ともに直調。二重刃ごころとなり、よく沸付いて金線入り、小丸にやや深く返る。
本国最南端の薩摩国での刀工の始祖は平安時代「永延頃」(987-89)ごろの大和の刀工『正国』が当国薩摩に移住したのが始まりと伝えられる。鎌倉時代の中期以降は代々『行安』が波平系の氏族を取りまとめる長者となって、中世の鎌倉、南北朝そして室町時代、さらには新刀期まで繁栄した一大流派である。作風の特徴は大和伝を踏襲しながらも「綾杉肌」を鍛えることでも知られる。舞草鍛冶の末裔で陸中岩手の宝寿鍛冶や羽前山形の月山一門に観られる地肌が最南端の薩摩と共通する技法を備えることは中世から海路を通じて技術交流があったことも考えられる。一門の歴代刀工が襲名した『波平行安』は「波が平らで行くこと安し」と語呂合わせされ、荒海を航海する水軍や商人にとっては護身用以上に頼もしい存在だった。表題の刀は鎺元に焼落しのある元姿を保ち、南北朝時代に流布している冠落しの造り込みをしている。中世から長きにわたり外装の柄に収まっていた為か、茎は生ぶながらも銘のあった辺りは朽ち込んで判別できないので無銘とされている。
銀無垢はばき、白鞘付属。