A3926(S6006)

太刀 銘 国宗 (備前三郎)

古刀 (鎌倉時代中期 建長/1249年頃) 備前
刃長73.1cm 反り2.2cm 元幅29.0mm 先幅16.9mm 元厚6.7mm

第五十二回重要刀剣

剣形:鎬造り、庵棟、元身幅広く、腰元で強く反り、踏ん張りがあり、平肉が豊かに付き、総体反りが深く、中切先に結ぶ。(刀身拡大写真
鍛肌:小杢目肌よく詰んで美しく冴え、やや流れ心の肌目交え地斑調の乱れ映りが鮮明に映る。極めて精微な肌合い。
刃紋:小乱れ、小丁子を主体に蛙子風となった背の高い腰括れた丁子を交え、丁子の乱れに広狭があり、深く柔らかな匂いを敷いて小沸付き、匂いの丁子足が盛んに入る。上部物打ち部は小乱れとなり、直調子に刃文は沈みごころに落ち着いた刃取り。
中心:茎は若干の区送り、茎尻は切。茎孔参個、佩表に二字銘がある。
帽子:表は僅かに乱れこんで中丸、裏は掃きかけごころとなり、同じく中丸に返る。
 国宗は備前国直宗系の刀工で、備前三郎の名で知られ、後に山城の粟田口国綱とともに鎌倉に移住して相州伝の基を築いた。一説によると彼は若干十八歳で鎌倉幕府に召され、新藤五国光の師となり、功労成って故郷の備前和気庄に返ったのは暦仁元年(1238)五十八歳の時で、その後弘長元年(1261)には幕府の執権北条時頼の命により八十二歳の高齢で再び出府して作刀したとされている。初代の作品には年紀があるものは見当たらず、二字銘のものだけとされており、正和年紀のある太刀や『備州長船住国宗』と長銘に切った太刀は二代の作とされてはいるが、諸異説もあり、銘の変遷を診るに国宗を一代限りとする説もある。
 即ち、丁子乱れの華やかな作柄を前中期作、直刃調子の作品を後期の作とするものである。鎌倉時代後期の作柄は総じてその中期の作柄と比較すると直刃基調のものが多く見受けられることから首肯できる説でもある。
 この太刀は長寸で腰で反って、踏ん張りがあり、平肉豊かで凛とした品位で充ちており、鮮明な乱れ映りと賑やかな丁子乱れは鎌倉時代中期の作柄を好く顕しており、初代の国宗、前中期作と鑑せられるもので、同時代の一文字一派や長船系と同じく豪華絢爛を競っており、他長船、備前物と比較して一段と小沸が強く、地刃ともに明るく強い感があり、かつ匂い口が冴えて丁子足が見事に入り、染みるところもなく健全無比である、近年新たに慧眼する国宗の作品としては傑出した出来を示している。
金着二重はばき。白鞘入り