O39829(W5018)

脇指 銘 備前国住長船七兵衛尉祐定作 吉日

古刀 室町時代末期(天正至文禄頃/1590~)備前
刃長 35.9cm 反り 0.4cm 元幅 31.3mm 元重 8.2mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:平造り、庵棟。寸のびて身幅広く、先身幅も広く、重ね厚く、ふくら付近がゆたかに張ったがっしりとした造り込み。室町時代末期の所謂、『婆娑羅』の好尚に乗じた自由奔放な体躯をしている。(刀身拡大写真
地鉄:総体に小板目が詰み、地沸厚くついて湯走り状の沸映りがたち、これを別けるように板目の地景が明瞭に現れて迫力に満ちる。
刃文:湾れを基調に、大互の目は処々箱がかる。僅かに棟焼きがある。焼刃は総体に匂口締まりごころ、刃縁に小沸が凝り太い沸足が刃先に射し込む。
帽子:乱れ込んで湾れて先小丸、返り深く棟焼きに繋がる。
茎:生ぶ。目釘孔壱個。刃上がりの栗尻張る。勝手下がりの鑢目、棟肉平でここにも勝手下がりの鑢がある。指表の棟寄り上方に『備前国住長船七兵衛尉』、行改め『祐定作』の長銘がある。裏の目釘孔下方には『吉日』の切付けがある。

 七兵衛尉祐定は、永正頃の与三左衛門尉祐定を祖として五代目にあたるという。天正頃の藤四郎祐定の長子。新刀期の備前長船祐定家中興の祖として高名な刀匠である。天正十八年(1590)、吉井川大洪水を経て新刀期の備前刀開拓者として君臨した重鎮であった。
 実子には上野大掾祐定がおり、弟には源左衛門尉祐定、宗左衛門尉祐定らがおり、それぞれ別家し棟梁となっている。
 七兵衛尉祐定は長命で、延宝二年(1674)六月歿、九十八歳という。逆算すれば天正五年(1577)生まれとなる。現存する年紀の刻された作品中、最古のものは元和二(1616)であり、晩年は実子の上野大掾祐定が代作をおこなっていたという。同工については、整理、分類について今後さらに研究する必要があるとおもわれる。
 この寸延平造りの添指は、昨今の鑑定で天正頃の作品と鑑せられた。迫力ある地景が明瞭に現れてて映りがたち末備前の作域を明示しており、新刀備前の第一人者だけあってその技倆は抜きん出ている。
金着せ祐乗鑢はばき、白鞘入
注)与三左衛門祐定(初代)→源兵衛尉祐定(二代)→七郎右衛門尉祐定(三代)→藤四郎祐定(四代)→七兵衛尉祐定(五代)→上野大掾祐定(六代)→大和大掾祐定(七代)→忠之進祐定(八代)→後七兵衛尉祐定・寿光(九代)→定治祐定・寿守(十代)
参考文献:加島 進 『長船町史・刀剣編図録』大塚巧藝社 平成十年