O39829(W5018)

脇指 銘 刈谷藩鍛冶寛重作 明治四年八月日

新々刀 明治時代初期 (明治四年/1871) 三河
刃長 34.6cm 反り 0.2cm 元幅 31.2mm 元重 6.5mm

保存刀剣鑑定書

 

 

剣形:平造り、庵棟。重ね厚く寸のびて僅かに反りがつき、身幅広くふくらが張ったがっしりとした造り込み。(刀身拡大写真
地鉄:小板目肌が精緻に詰み、微細な地沸ついて地斑映りが立つ清涼な地鉄。
刃文:匂口よく締まり明るい閃光を放つ起伏ある足長丁子乱れ。刃中は匂い充満し、丁子足は長く刃先に向かい射し込む。
帽子:乱れ込んで湾れ先地蔵風となり小沸よくついて長めに返る。
茎:生ぶ。目釘孔壱個。刃上がりの栗尻張る、棟肉平。棟鑢ともに筋違に掛出しを切鑢の化粧鑢がある。独特の隷書体の刻銘『刈谷藩鍛冶寛重作』裏には『明治四年八月日』の年紀がある。
 寬重は泰竜斉宗寛の門人、明治元年十一月以前は師の宗寛と共に江戸本所に住し、下総国譜代古河藩主土井氏に仕えた。明治維新動乱の時期に土井氏の命で同二年、江戸より同族藩の刈谷藩に赴き、藩工として作刀に励んだ。しかしながら就任早々の同四年(1871)施行の廃藩置県により作刀を断念、僅か数年間の作刀数はごく僅かで寡作の刀工である。
 その作風は大師匠である備前伝の第一人者、固山宗次の足長丁子の師風を踏襲して、大師匠の号『一専斉』を隔世襲名している。
さらには師の泰竜斉宗寛の作風である『映り』をよくこなし、地蔵風の鋩子や就中、茎仕立てと隷書体の刻銘は師、宗寛の手癖をそのまま倣っている。また同工の記する年紀、明治の『明』の偏は『日』ではなく『目』と記する特徴がある。
 この脇指は清涼な地鉄に地斑映りがたち、起伏ある足長丁子の刃縁には小沸が微塵について頗る明るく冴えている。焼刃の丁子足は刃先に駆け出さんばかりに長く放射して誠に美麗な景色。大師匠の固山宗次、師の泰竜斉宗寛にも紛れる佳作でその高い技量に感服する一口である。
時代銀地はばき、白鞘入