K6780(S827)

刀 銘 是一造

新々刀 江戸時代後期(嘉永頃/1848~)武州
刃長 75.4cm 反り 0.8cm 元幅 30.4mm 先幅 20.7mm 元厚 7.3mm

特別保存刀剣鑑定書
『銕の意匠Ⅱ』所載品

 

 

剣形:鎬造り、庵棟。二尺四寸八分半と寸が延び、浅めの反りがついて中峰に結ぶ。鎬地広く、鎬筋が凛として高い強靭な造り込み。履表には三鈷剣の彫物、裏には八幡大菩薩の神号の彫物がある。(刀身全体写真
鍛肌:強靭な小板目鍛えの地鉄はよく詰んで腰元には梃子鉄とよばれる大杢目肌が顕れ、鎬地は柾流れごころ。地錵ついて地景顕れる強い地鉄。
刃文:錵匂ともに厚く深い湾れ刃に互の目の足がよくはいる。丁子刃に尖り刃や小互の目を交えて変化があり、刃縁には均一精美な沸が厚く積もる。物打ちあたりに金線はいり、処々僅かに砂流しかかる。平地に跳び焼きかかり地に溢れて錵匂ともにますます華やかとなり明るい光彩を放つ。元から先まで均一かつ清涼な小沸出来の丁子乱れは新々刀特有の荒錵がつかず、柔らかな匂いに包まれた同工特有の焼刃を呈している。
帽子:表裏とも焼刃高く、乱れ込んで先小丸に返る。
中心:茎はやや長めで反りがある。茎尻はを栗尻。一筋入念にやや粗目に仕立てられた大筋違の鑢目、はばき元に化粧鑢をかける。目釘孔壱個。『是一造』の三字銘がある。
 備前伝、小錵本位の丁子乱れに長けた新々刀の上々作、運寿是一の出色の作。
 運寿是一、通称を石堂政太郎は羽州米沢の刀工長運斉綱俊の甥として文政三年(1820)に江戸で生まれた。鍛刀の技を伯父の綱俊に学んだのち、六代運寿是一の娘婿となり天保十二年に江戸麻布に鞴を構えて石堂是一の七代目を継いだ。『運寿斉』の号を名乗った。
運寿是一は幕府の御用も勤めて葵紋を許され、また水戸の勝村徳勝や会津の松軒元興など多数の有能な門人を育成した上々作鍛冶である。明治初年には高橋長信とともに新政府の招聘に応じ、号を『竜泉斉』と改めた。明治二十四年十月二十四日歿、行年七十三。 新々刀期の清麿、直胤、左行秀に次ぐ名手であった。
『石堂運寿是一精鍛』、『藤原是一精鍛』などと銘をきり、裏に制作年紀を刻する作品が多い。棒樋は僅かにみるものの刀身彫刻は稀有である。
 この打刀は常にまして寸がのびて浅めの反りがついており、神仏の加護を祈念する注文主の意向で自らの号を謹み、藤原氏を憚り三字銘を施したのであろう。三鈷剣に八幡大菩薩の神号彫物は武運長久の神として全国の武家から崇敬された。
 この刀は茨城県歴史博物館の企画展示会『銕の意匠Ⅱ』に出陳され、当該図録の所載品である。
時代二重はばき(下貝赤銅・上貝銀着)、白鞘入 附)所載本『銕の意匠Ⅱ』
参考文献:
『銕の意匠Ⅱ』茨城県立歴史館、平成十二年
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣 昭和五十年