A13934(S8884) 刀 無銘 延寿
附)黒漆菜種塗鞘尾張打刀拵
特別保存刀剣
本阿弥宗景折紙
鎌倉時代後期~南北朝初期(建武頃・約680年前) 肥後
刃長70.3cm 反り2.2cm 重ね6.8mm 元幅28.6mm 先幅19.2mm
剣形:鎬造り、庵の棟は低く、磨上げながら元に踏ん張りがあり、元先の幅差がついて腰元の反りが深く中鋒にむすぶ優美な姿をしている。表裏に樋先の上がった片チリの棒樋を掻き通す。表には二筋の添腰樋と上部に複合梵字、裏には腰元に添樋の彫物がある。(刀身拡大写真
鍛肌:総体潤いのある小板目・梨子地肌を基調として肌目流れごころに刃寄りは柾目調となる。総体に肌目立ち、地錵細かについて地景が湧く。刃寄りと棟寄りには棒映りが立つ。
刃紋:中直刃に総体に匂口沈み、僅かに小乱れ、鼠足、小互目などを交える。
帽子:表は直ぐ調に掃きかけ焼詰める。裏は同じく掃きかけごころに中丸に返る。
中心:大磨上、無銘。茎尻は切。鑢目は浅い勝手下り、目釘孔二個、茎尻に三日月状の目釘孔跡がある。
 肥後国延寿派は大和国尻懸、弘村を始祖としているが、その子国村が肥後菊池郡隈府(現熊本県菊池市)に来住し、事実上の祖である。国村ははじめ、大和より京都にでて来国行に学び、女婿となった。菊池氏の要請に応え肥後に移住し延寿派を創設し、南北朝末期までのおおよそ百年間に国吉・国時・国泰・国安・国資・国信・国清等多くの名工を輩出した一派である。代々皇室に忠勤を励んで京都との文化交流に熱心であった菊池氏とその盛衰を共にした勤王鍛冶として知られている。鎌倉時代から南北朝時代までの作品を『古延寿』と称しており、通常は山城伝風の踏ん張りのある、反り深く、上品な姿格好をして、来国俊や来国光の優美な作域を蹈襲しているものが多い。地肌はよく錬れて潤いある小板目・梨子地肌を基調としながら、来派と比べると鍛えに流れ柾を交えて刃寄りに『棒映り』が立ち、黒みを帯びた異鉄が青江の澄肌のような形で顕れる所詮、『延寿肌』と呼ばれる景色が特徴である。刃文は匂口が幾分沈みごころで刃中の働きが穏やかとなる。また、帽子は小丸風に浅く返るか掃掛けごころや食違いがあり、返りを浅く焼くなどの点に相違が見られ延寿派の特色となっている。また古延寿の太刀には本作のような樋先の上がった幅広の棒樋が掻通したものがある。
 本作には本阿弥光味家十三代目で、折紙の裏に押す「本」字銅印を保持した宗景師の昭和十二年の折紙「了戒」がある。了戒は来国俊の子と伝えられ、正応、嘉元、延慶、正和などの年期が確認されており、太刀、短刀ともにあるが太刀では熱田神宮所蔵の「了戒 嘉元元年二月日 山城国住人九朗左」(重要文化財指定)があり好資料である。 
 附)黒漆菜種塗鞘尾張打刀拵拵各部分・拡大写真)(拵全体写真
白鮫着黒色常組菱巻柄
縁頭 鉄線花に唐草図 赤銅地 金色絵
目貫 鵜飼い図 赤銅容彫 金色絵
鐔 雲龍図 鉄地竪丸形 鋤出彫 石目地 鋤残耳 銘:鉄元堂 尚房
銅はばき、白鞘付属