A16729(W2777) 寸延び短刀 銘 備州長船行久 應永廿九年八月日 特別保存刀剣
室町時代初期(應永二十九年/1422) 備前
刃長 30.6cm 反り 0.1cm 元幅 26.7mm 元厚 5.5mm
剣形:平造り、庵棟低くほぼ無反りの寸延び短刀。寸延びて重ね尋常に身幅広めについて、ふくらやや枯れごころ。(刀身拡大写真
彫物 : 表裏には棒樋の彫物がある。
地鉄:板目肌に杢交えて肌たち地沸ついて細やかな地景はいり、鮮明な乱れ映りがたつ。
刃文:湾れに小互の目、腰開きの丁子刃。匂口やや締まりごころに刃縁に均一な小沸がよくついて明るい。
帽子:焼強い互の目乱れ込んで表は小丸、裏は大丸となり、双方ともに強く掃きかけて返り固く留まる。
茎:生ぶ、栗尻張る。鑢目大筋違、棟肉平。目釘孔壱個。掃表には『備州長船行久』の長銘、裏には『應永廿九年八月日』の制作年紀がある。
 銘鑑によると『行久』は南北朝期の応安頃(1358〜)を初代とし永享二・三(1430/31)年紀までの作例があるという。應永頃の『行久』は『秀光』の子で『基光』の玄孫にあたる。
 『應永備前』とは、この期の備前刀鍛治が應永年紀を切ることから生まれた呼称。長船鍛冶らは先代の南北朝時代に流布した奢侈で派手な婆娑羅の機運が熟した豪壮な体躯と異なり、国家安泰の機運に呼応した復古的な作域を示すようになる。
 応永備前の平造りの脇指や寸延び短刀には、南北朝時代の作品に比較すると身幅やや広めに、さらに長寸となるものがみられるようになり、棒樋や素剣などの簡素な彫物が施されることが多くなる。
 太刀の添指として具えたのであろう、長めの刃長に比して短めの茎をもつ特徴は同時代に流行した帯用様式を明示している。
 六百年の歴史を刻む生ぶ茎には明確な筋違の鑢目をのこした至高の錆味。鏨跡鮮やかな長銘『備州長船行久』および裏の制作年紀『應永廿九年八月日』双方ともに凛として明瞭である。鍛えは肌立ちごころとなり地には乱れ映りが鮮明にたつ。刃文はおおらかな腰の開いた互の目をやいて同時代の特色をみせる。應永備前鍛冶の地・刃・茎ともに健全なる体躯を有したた優品である。

銀地一重はばき、白鞘入
参考文献:本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年
 
寸延び短刀 銘 備州長船行久 應永廿九年八月日
寸延び短刀 銘 備州長船行久 應永廿九年八月日
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