A30269(W5087) 脇差 銘 近江大掾藤原忠廣 保存刀剣
新刀 江戸時代前期 (正保 1644-47年頃) 肥前
刃長35.4cm 反り0.8cm 元幅29.5mm 先幅20.5mm 元厚6.2mm
剣形:鎬造り、庵棟、小振りの腰刀。棟区深く身幅広めに重ねやや厚め。やや浅めの反りがつき、元先の幅差がさまで開かず、物打ちあたりの身幅も張って中峰のびごころ。(刀身拡大写真
鍛肌:小板目肌が精緻によく詰み、地沸微塵に厚くついて地景細やかによく入り、鉄色冴える。佩表のものうち付近に澄肌がある。
刃紋:浅い湾れ刃は中程には二重刃となる。刃縁には小沸が帯状に厚く積もり明るい閃光を放ち、刃中は匂充満して、物打ちの刃沸はより厚く、深く刃先に放射して冴える。
帽子:焼高く、直ぐに中丸となり深く返る。
茎:生ぶ、茎尻は剣形。鑢目は浅い逆勝手下がり。棟肉平で切鑢がある。目釘孔壱個。佩表の棟寄りに『近江大掾藤原忠廣』の長銘がある。
 近江大掾忠廣は初代忠吉の子。はじめ橋本平作郎のち新左衛門を襲名。寛永九年(1632)父忠吉没後、忠廣を襲名してから終世忠廣を名乗り忠吉を名乗っていない。寛永十八年(1641)七月二十二日近江大掾を受領。藩より屋敷と切米二十石を拝領。元禄六年(1693)五月二十七日没、享年八十であった。
 寛永七年から元禄初めまでの作品が残り、52年の長きに渡って幾多の名品を世に送り続けた。 鎌倉時代の山城国、来国光を念頭に『小糠肌』と称賛を浴びる小板目肌に微塵の地錵を涌きだたせる肥前肌と帯状の匂口に明るい小錵を交えた直刃を完成の域に至らしめた巧手であった。刀は太刀銘に、脇差および短刀は佩表の刀銘に切るのが通常であるが、二尺を超える刀にも脇差として作ったものは、刀銘に切ることもある。「肥前國住藤原忠廣」「近江大掾藤原忠廣」「肥前國住近江大掾藤原忠廣」「肥前國忠廣」「忠廣」などの銘を見る。
渡金腰祐乗鑢はばき、白鞘入り
 
脇差 銘 近江大掾藤原忠廣
脇差 銘 近江大掾藤原忠廣
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