A4732(S2069) 刀 銘 兼延
安而不忘危存而不忘亡 澤井長慎佩刀

附)竜胆菊繋双龍図金襴包鞘太刀拵
特別保存刀剣
古刀 室町時代中期(明応頃/1491~)尾張
刃長 64.8cm 反り 1.6cm 元幅 29.8mm 先幅 19.8mm 元厚 6.7mm
剣形:鎬造り、庵棟。身幅尋常。鎬高く棟肉を削いだ強靭な体躯に中峰延びごころ。。元先の幅左が頃合いにやや腰反りがついた素早い抜刀に適した造り込み。(刀身拡大写真
鍛肌:地肌は杢目肌に刃寄り柾目を交えて肌目がたつ。やや白けごころの地沸を敷いて太い地景が湧き出す強靭な鍛肌。
刃紋:沸本位の中直刃は刃縁に小沸が厚くつく。物打ち付近は、ほつれごころ・うちのけを交えて地景に呼応した金筋・稲妻を明示し、強い棟焼きがある強靭な焼刃は明るく冴えている。
中心:僅かに磨上げ。鑢目は筋違。茎尻切。目釘孔参個。佩表には『兼延』の古雅な二字銘。裏には『安而不忘危存而不忘亡』の文言と『澤井長慎佩刀』の所持切り付けがある。
帽子:焼強く僅かに乱れて小丸。
 室町期の直江志津一門は、南北朝統一後の需要の低迷による衰退や度重なる河川の氾濫により、直江の地を離れて関や赤坂の地に移住している。
 小山(美濃加茂市下米田町小山)に住した明応頃(1492~)の『兼延』は『兼存』の子と伝えられ、のち尾張志賀(現名古屋市北区金城町)に移住、『志賀関』と呼称され尾張鍛冶の礎を築いている。『兼延』には明応三年(1494)年紀の作があり、一説によると初代は大筋違の鑢目を施し、天文頃の二代は逆鷹の羽を切るという。
 本作は鋒が延びごころ、鎬高く棟肉を削いだ威風堂々たる体躯を湛えた剣形は力強く、深淵より湧き出す杢目に柾を交えた鍛肌は地沸を敷いて太い地景が縦横に織りなす強靭な地鉄。刃文、小沸が厚く微塵についた中直刃の刃縁には地景に呼応した「うちのけ」や「金筋」が絡んで、匂口が頗る明るく冴える。打ち合いに備えての棟焼きを施した強靱な焼刃の構成は、実利を重視したもので地刃ともに頗る健全な優品として称揚される。

附)竜胆菊繋双龍図錦襴包鞘太刀拵拵全体写真刀装具拡大写真
  • 総金具(兜金・縁・口金・足金物・柏葉・石突)葡萄図、鉄地、鋤下彫、金小縁、無銘
  • 鐔 葵形、鉄地、鋤下彫、四方猪目透、蔦唐草文図、金象眼、無銘
  • 目貫 六角に三つ引紋図、赤銅地、容彫、魚子地
  • 柄 金漆塗鮫着 黒色常組糸撮菱巻
※鞘錦襴包に剥落箇所があります
金着二重はばき、白鞘入り。
参考文献:
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年
本間順治・佐藤貫一『日本刀大鑑・古刀篇三』大塚工芸社、昭和四十四年
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期 美濃刀工の研究』株式会社里文出版、平成十八年
易経・繁辞伝より:安くして危うきを忘れず(安而不忘危) 存して亡ぶるを忘れず(存而不忘亡)
 
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