| A69849(S2076) 刀 無銘 青江 附)黒漆塗千段刻鞘打刀拵 | 第五十四回重要刀剣 |
| 古刀 鎌倉時代末期(約700年前) 備中 刃長67.8cm 反り1.8cm 元幅28.0mm 先幅20.0mm 元重7.0mm |
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| 剣形:鎬造り、庵棟、身幅細めで、元先の幅差僅かにつき、鎬やや高めに、重ね薄めで反り深めにつき、中峰にむすぶ。表裏に樋先の上がった両チリの棒樋を掻き通す。(刀身拡大写真) 鍛肌:板目肌流れごころに杢交じり、総体に肌立ち、地錵細かにつき、白けごころに淡く乱れ映り立つ。 刃紋:中直刃調に小互の目、小丁字ごころの刃などを交え、小足・逆足処々入り、下半は匂口締まりごころに、物打辺から匂口うるみ。匂勝ちに小沸つき、総体に沈みごころとなる。 帽子:表は浅くのたれて先尖りごころ、裏は極浅くたるんで少し倒れて小丸に共に返る。 中心:大磨上、先栗尻。鑢目は切り、目釘孔三中二埋、第一目釘孔下辺りに朱書らしきものが残る。 備中国は古くから良質な鋼の生産地として知られ、十一世紀初頭の往来物『新猿楽記』は、諸国の名物を列記する中に「備中の刀」を列挙している。これより二世紀の後、その高い評価を受け継ぐ青江派の刀工が現、倉敷市に勃興し、この恵まれた資源のもとに高梁川の下流の地、青江で繁栄した。 安次を元祖とし、守次、貞次、恒次等の名匠を輩出し鎌倉時代には、吉備国東側の吉井川流域の備前長船、大和の刀鍛治と共に、朝廷の御番鍛治として活躍したが,南北朝期に南朝方につき衰退したと伝えられる。日蓮聖人の宝刀「数珠丸」恒次や幽霊を斬った「にっかり青江」など,備中青江派は数多くの名刀を残している。 同派は平安時代末期から鎌倉時代中期頃までの作を古青江、以降南北朝期までのものを青江と汎称している。その作風は、古青江には小沸出来で匂口のやや沈んだ直刃仕立てに小乱れを交えたものが多く、鎌倉時代末期になると沸づきが穏やかとなり、さらに南北潮期のそれは、匂口が締まり、明るく冴えた直刃や特色ある逆丁子乱れをみせるようになる。 この刀は、板目に杢が混じった鍛えで、肌立って縮緬状の肌合いを呈し、地錵が微塵につき、地景が細やかに入り、刃文は中直刃を基調に、小丁字・小互の目・小乱れ風の刃等を交え、小足・逆足等が入り小沸がつくなど、青江派の見所がよく表示されている。大磨上ながら反り深めについた体配や前記の地刃の様相から、制作年代は鎌倉時代末期と鑑せられるものである。また肉置きが豊かで、地刃ともに健全であることも好ましい。 附)黒漆塗千段刻鞘打刀拵(拵拡大写真)(拵全体写真) 白鮫着紫色常組菱巻柄 縁頭 波に海老図 銘:後藤就乗(花押) 赤銅地 金色絵 目貫 猿に馬図 赤銅容彫 金色絵 鐔 網透図 鉄地撫角形 地透 赤銅覆輪 注)黒漆塗千段刻鞘角所鐺には虫喰い跡がある。 金着二重はばき、白鞘入 |
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