| H1379(W6616) 脇指 銘 国正(堀川) | 保存刀剣 |
| 新刀 江戸時代前期(寛永/約380年前) 山城 刃長54.3cm 反り1.0cm 元幅29.3mm 元重6.0mm 先幅19.6mm |
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剣形:鎬造り、庵棟、重ねやや薄く、平肉付かず、反りやや浅く付き中峰にむすぶ。表裏に丸留の棒樋の彫り物がある。(刀身拡大写真)
鍛肌:板目肌流れごころに、杢目肌交えて肌たち、『ザングリ』とした肌合いの地鉄に微細な地錵よくついて明るく冴え、肌目に沿って板目状の地景が湧いて美しい肌模様となる。鎬地の樋中は揺れて流れる柾目肌となる。 刃紋:大湾れに互の目、逆がかった刃、尖り刃など交えて小沸厚くつき、匂口深く明るく冴える。刃中匂い充満し、砂流しよくかかる。 中心:生ぶ。鑢目大筋違い、茎尻は刃上がりの入山形。目釘孔三個。茎棟小肉つく。佩表の鎬筋上に大振りの二字銘『国正』とある。 帽子:直調子となり中丸に返る。 堀川国正は巨匠「国広」の甥で国政の子と伝えられ、名を田中源兵衛という。父の国政に随って日向国より山城国に上り、叔父である国広の門下で学んだ。「武州江戸藤原國正」の銘が『日本刀銘鑑』に所収されていることから、師の没後の寛永から正保頃に武州に移住して制作したとも考えられている。このことから、以前は江戸の法成寺但馬守国正の作品と混同されてきたと推測される。 現存する國正の作品は数が少なく、殆どが二字銘で年紀作もないとされてきたが、昨今脇指 銘 『田中源兵衛国正 万治元年二月日』の作品が紹介され、堀川国正は万治頃まで作刀したことが確認できる。また日向国出身の国広は田中姓であることから『国正』は田中国広の一族であることも検証できる貴重な資料である。 国広門下には多くの上手が輩出したが、国正もその一人であり、作品が極めて少ないのは師の代作者として勤めて活躍したためであろう。この脇指は、茎の仕立てや、銘文の国の構え、および構えの中の字画は師の国広晩年のそれに酷似している。この脇指の作風は同門の兄弟子である国路に似て、『ザングリ』とした肌合いの地鉄に、刃文は湾れに尖り互の目を交えて華やかさがあり、地・刃の働きも豊かで明るくよく冴えている。国正の優れた技量と手腕を十分窺えるものであり、国広の代作者であった名声に恥じない好脇指である。 銀着せ二重はばき、白鞘入り。 参考文献: 本間順治 佐藤貫一 『日本刀大鑑・新刀編一』 大塚工藝社 昭和41年 成相英樹 『刀剣美術 637号 長銘で裏年紀のある堀川物と思われる「国正」』 財団法人日本美術刀剣保存協会、平成22年2月 |
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