M4656(T8636) 両刃造短刀 銘 備前国長船貴光作 永正十六年八月日 保存刀剣
古刀 室町時代後期(永正十六年/1519) 備前
刃長 18.5cm 元幅 23.2mm 元重 7.5mm
剣形:両刃造短刀、寸控えめに、元重ね厚く、先の重ねを減じた鋭しい切先。鎬表の稜線は凛として高く、裏は平造の威風な造り込みで断面は平山形。鎧の隙間を貫く実利の剣形ながらも裏平地には草の倶利伽羅の彫物がある。(刀身拡大写真
鍛肌:均一に詰んだ精良な板目鍛えの地鉄は、刃寄りに柾を配して強く錬れ、微塵の地錵がつき、深淵から密な地景が表出して鉄色明るく冴える。
刃文:匂本位の小互の目、小丁字の刃文は刃縁の良質な小錵が均一につき、足入り、刃中は柔らかな匂いで美しく霞かかり互の目の小足入り洗練された焼刃。
帽子:表の鋩子は鎬の稜線で火炎状に沸筋が立ち先尖る。裏は直ぐに小丸となる。
茎:生ぶ、栗尻張る。目釘孔弐個。浅い勝手下がりの鑢目。表の稜線右側には『備前国長船貴光作』の長銘。裏の中央には『永正十六年八月日』の年紀がある。

 両刃造短刀は、室町時代の文明頃から桃山時代までのおおよそ100年間のみ製作された特殊な造り込み。初期の両刃造りは刃長が短く、茎の栗尻と鎬筋の肉置きは柄下地に収まることなしに、拳に収まるほどに調整されて操作性に優れ、組み討ちに好適な体躯をしている。鋭しく枯れた切先を有して凄まじい威力をもつ両刃造は、戦乱の激化にともない次第に刃長が伸びて桃山時代には刃長八寸(24cm)前後のものが多くなるようである。日常的に常用するものではなく高位武将が戦での組み討ちの際に咄嗟に身を守るために具える特注品として需められた。製作の地は備前国に多く美濃国がこれにつづき他国では極めて稀である。鍛法・焼入に高度な技量を要したために、上作鍛冶がその需に応じており地鉄が綺麗で極めて高品質な造り込みが特徴である。

 表題の両刃造短刀は永正十六年紀を有する平右衛門尉貴光の作。寸法控えめに元幅広く、鎬の稜線は凛として高く断面が山形となる異風独特な体躯。戦乱の激化に伴い明日をも知れぬ我が身を案じ、実利を重視した強靱な両刃は凄味があり、裏の平造りに刻された草の倶利伽羅の彫物は武勲と家内安全を祈念する武将の信仰心を明示した気品ある作品である。
 長船貴光は平右衛門尉の俗名を冠した上作鍛冶。左京進宗光・二郎左衛門尉勝光の一族で、勝光との合作品短刀 銘 『備前国住長船勝光貴光 永正十年八月日』がある。表題の両刃造短刀と同年紀の重要刀剣、脇指 銘 『備前国住長船平右衛門尉貴光 永正十六年八月吉日』の作例があり、宗光・勝光兄弟の工房での勤務永きにわたり、同工の作品は比較少ないが、永正備前の代表的な作風を顕しており、この両刃造短刀によってその優れた技倆が首肯される。
 表題の高品質な貴光の両刃造短刀は茎の保存状態は完在に漆黒の錆色は光沢があり、鮮明な鑢目に神妙明瞭な鏨運びで長銘と年紀が刻されている。茎の稜線上の小孔には紐を通して肌身離さず具えるために穿かれたと想われる。大孔は後世の柄下地制作時にあけられたのであろう。
 本間薫山博士の『長船貴光 佳作 刃長六寸一分』、『昭和丁巳年八月 薫山誌(花押)』の鞘書きとおり同作中の佳作で地刃ともに健全である。

金着はばき、白鞘入(本間薫山博士鞘書)
参考文献:
『長船町史 刀剣編図録』 長船町 平成十年
第二十一回重要刀剣図録 脇指 銘 『備前国住長船平右衛門尉貴光 永正十六年八月吉日』
 
両刃造短刀 銘 備前国長船貴光作 永正十六年八月日
両刃造短刀 銘 備前国長船貴光作 永正十六年八月日
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