N28435(S1511) 刀 無銘 伝来国俊 甲種特別貴重刀剣
古刀 鎌倉時代(永仁頃・約700年前) 山城
刃長74.2cm 反り1.4cm 元幅30.6mm 元厚6.9mm 先幅20.1mm
剣形:鎬造り、庵棟。磨上げ無銘ながら寸が伸びて、中峰伸び、重ね厚くどっぷりと手持ちのある豪壮な太刀姿をしている。(刀身拡大写真
鍛肌:地肌は板目肌よく錬れて詰み、刃寄りに流れこころの鍛肌や処々に来肌と称する大模様の肌を交える。地沸厚く付いて地景が湧き出して地斑や棒状となる沸映りが顕れる。
刃紋:僅かに湾れた中直刃を基調に小沸厚く付き明るく冴える。刃縁は小足よく入り、匂口明るい。
中心:磨上げ無銘。表の鑢目は浅い勝手下がり、裏は浅い勝手上がり。茎尻は切。目釘孔三個。
帽子:ふくらに沿って直ぐに中丸に返る。
山城の来派は国行を始祖とし、鎌倉時代後期には粟田口一派に替り、隆盛を誇る刀工群となった。来一門は始祖の国行をはじめ、二字国俊、来国俊、来国光、来国次と直系がいずれも最上作に列する。来国俊は来国行もしくは二字国俊の子と伝えられ、徳川美術館所蔵の重要文化財、『来国俊』『正和四年十月廿三日歳七十五』(1315)の太刀が現存することから、生年は仁治元年(1240)であることが解る。長命で作刀が長期に及ぶことから来国俊を二字国俊の子とする説や同人説も唱えられている。また来国光や来国次に近似する銘振りのものがあり興味深い。作風としては、二字国俊は来国行の作域に近似し、身幅たっぷりで猪首切先に結ぶ豪壮な姿と丁子刃が目立つ賑やかな乱れ刃を呈するもので、一方来国俊の作域は二字国俊に比して、頃合いの美しい姿に直刃基調の刃を焼くなどの相違点が見られる。本作は磨上げながらも弐尺四寸五分と寸が伸びて、肉置が優れて健全な躯体の出来であり(かね)よく冴える。地刃の沸よく付いて、刃中の働きが豊富な優品である。
金着せ一重はばき、白鞘入り。