O100423(S2847) 刀 尾州住片山源勝重作 慶應二二年二月日
附)黒蝋色塗鞘打刀拵
保存刀剣
新々刀 江戸時代最末期(慶應四年/1868) 尾張
刃長 74.6cm 反り 1.6cm 元幅 34.5mm 先幅 25.2mm 元厚 8.2mm
剣形:鎬造り、庵棟。二尺四寸六分と寸が延び、身幅広く重ね頗る厚くついて浅めの反りが付き、元先の幅差さまでつかずに大峰に結ぶ豪壮な体躯。鎬筋高く、鎬地に比して平地広い造り込み。はばきを含む刀身重量は1053㌘あり、どっしりと重量がある。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌流れて杢を交えて肌立ち、鉄色やや黒づんで地錵がつき、太い地景が湧き出す強い肌合いを呈して力強い。
刃紋:沸出来の湾れで互の目・小丁子、尖り刃を交え、処々棟焼きがある。刃縁にはやや粗めの沸が凝り、沸厚くついてここに稲妻や金線かかり、砂流し頻りと流れて刃縁明るく冴える。刃中は匂い深く充満して処々に葉が浮かび、互の目の沸足が明るい閃光を放ち刃先に向かって放射している。
帽子:乱れ込んで火炎風に強く掃きかけて返り深く棟焼きに繋がる。
中心:生ぶ。長めの茎は刃側を舟底風におろして刃上がり栗尻。鑢目は大筋違に化粧鑢、棟小肉つきここにも大筋違の鑢目がある。茎孔壱個。佩表の上方棟よりに大振りの長銘『尾州住片山源勝重作』、裏には同じく草書体で『慶應二二年二月日』の年紀が刻されている。

 寛文頃(1661-)の勝重初代は伊勢桑名に住した千子派の刀工で、業物として知られのちに名古屋関鍛冶町(現、中区丸の内丁目)に移住して三河守を任官した尾張刀工である。
 幕末頃の同派の勝重は名を片山彦一郎と云い、「尾張国知多郡人片山勝重」などと銘をきる作刀があることから尾州知多郡にても駐鎚したことがわかる。元治元年、二年および慶應年間を通じての年紀作があり、いずれの作刀も尊王攘夷の思潮を反映し、勤王志士らが挙って需めた豪壮華麗な造り込みが特徴である。
 本作の掃裏には特徴ある草書体で『慶應二二年二月日』の年紀があり、有銘作としては最期の年紀作であろう。往年の生ぶ拵が附帯しており、内外ともに勤王志士の気風を今に伝える優品である。

附)黒蝋色塗鞘打刀拵拵全体写真 拵全体写真 刀装具拡大写真
  • 総金具(縁頭・鐔・鞘鐺):赤銅地、無文、無銘
  • 目貫:竜胆図、赤銅容彫、色絵
  • 割笄:羊歯図、赤銅魚子地、高彫、色絵
  • 小柄:雷神図、赤銅魚子地、高彫、色絵
  • 柄:白鮫着、黒色常組糸諸摘菱巻
銀地渡金はばき、白鞘付属
参考文献:
岩田與『尾張刀工譜』名古屋市教育委員会、昭和五十九年
 
刀 銘 尾州住片山源勝重作 慶應二二年二月日 
刀 銘 尾州住片山源勝重作 慶應二二年二月日
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