O10658(S8891) 刀 銘 (葵紋)康継於越前作之
附)黒蝋色漆塗鞘打刀拵全身写真)(刀装具写真
保存刀剣
特別貴重刀剣
新刀 江戸前期(寛文/約350年前) 越前
刃長68.9cm 反り0.9cm 元幅30.5mm 元重6.8mm 先幅20.6cm
剣形:鎬造り、庵棟。 元身幅が広く、反りが浅めについて、元先の身幅に差がついて中峰に結ぶ。所謂寛文頃の姿をしている。(刀身拡大写真
鍛肌:総体に地鉄青黒く澄んだ感があり、板目肌に杢目交じりやや肌立ち、処々流れる鉄肌を呈する。鎬地は柾目肌の強い肌合となる。
刃紋:湾れを主調に互の目、尖りごころの刃などを交える。刃縁は小錵が厚く付いて匂いが深く、互の目の足が入る。棟区上など処々に棟焼きがある。
帽子:直ぐ調となり中丸に返る。
茎:鑢目は大筋違い。目釘孔壱個。茎尻は刃上りの剣形。棟肉平。佩表のはばき下、鎬筋上にに(葵紋)の彫物、目釘孔下に大振りの長銘『康継於越前作之』とある。
 新刀に於ける武蔵国の中心地である江戸は徳川幕府の膝元であり、質実剛健を旨とした三河武士の好みに応じて、武用を重視した業物が好まれた。御紋康継初代『下坂市左衛門』は初銘を『肥後大掾下坂』。近江の出身で、結城秀康に抱えられて越前に移住し、古作相州伝法に範を採り、徳川幕府の御用鍛冶に選ばれて大御所家康公より「康」の字を給わり、さらには葵門を彫ることを許された名門である。江戸と越前に隔年交代の勤務を命じられている。二代康継『下坂市之丞』は初代の長男で、父同様に隔年ごとに出府して江戸神田紺屋町に住み、幕府の御用を勤めて幕命に依り元和九年より江戸詰となり定住している。正保三年、二代康継没時は長男の『右馬助』が十七歳の若年で幕府の御用が勤まらず、二代の弟(初代康継の三男)である『四郎右衛門』との間で後継問題が起こり、江戸と越前の二派に分家している。二代の長男『右馬助』は江戸三代を継いで以降十二代続き、『四郎右衛門』は越前三代となり九代まで続いている。康継一門で国司の位である受領銘を任官したのは初代の「肥後大掾」だけである。また茎尻は越前茎「刃上り剣形」となっている。
 表題の打刀は『四郎右衛門』、(後に『下坂市右衛門』と改名)康継の作である。兄である二代康継没後に越前康継家を創立した良工で、『康継越前三代』と呼ばれている。天和三年一月一日没。作風は父である初代、兄である二代に似て、銘の『継』字の偏を二代から、旁を初代からと、半分ずつ組み合わせて切っていることが特徴である。
附帯の黒蝋色塗鞘打刀拵:全身拡大写真)、(刀装具拡大写真
白鮫着金茶色糸巻柄
縁頭、無銘 武者図 鉄地赤銅高彫金色絵 赤銅小縁
目貫、武者図、赤銅容彫金色絵
笄、鉄地 萩に流水図、金象眼
鍔、鉄地竪丸地透 竹林七賢人図 肉彫 金、赤銅、素銅色絵象嵌 金覆輪 銘:藻柄子入道宗典製 江州彦根住
(笄櫃瓦に漆塗の部分欠損がある)
時代金着祐乗鑢はばき。白鞘付属。