O116372(T5015) 短刀 銘 兼元
附)黒漆刷毛目篠鑢塗鞘小さ刀拵
保存刀剣
古刀 室町時代後期(享禄~天文頃/1528~) 美濃
刃長 28.2cm 反り 0.3cm 元幅 26.0mm 元厚 5.5mm
剣形:平造り、庵棟。九寸参分と寸延びて、身幅、重ねとも尋常に反りがわずかに付き、ふくら枯れごころ。(刀身拡大写真
地鉄:やや黒づんだ地鉄は板目に大杢交え、流れる肌を交えて総体肌立つ。刃区より白けた映りが地斑調につき、板目の鍛肌に沿った地景が顕れる。
刃紋:小沸主調の焼刃の低く丸い頭の互の目を三つ連ねて所謂、三本杉となり、互の目の谷に太い沸足がはいり刃先にかけだしごころとなる。刃中は匂口深く、僅かに砂流しかかる。
帽子:湾れて地蔵風となり先小丸に返る。
茎:生ぶ。檜垣鑢。目釘孔壱個、茎尻剣形。指表の目釘穴下方、棟よりに大振りの二字銘『兼元』とある。
 兼元は兼定とならび美濃鍛冶を代表する鍛冶で、寛政九年(1797)に刊行された「懐宝剣尺」では「最上大業物」に指定され『関の孫六』と呼称されいる。同工は世に名高い正宗や『妖刀』で知られる村正と並んでもっとも親しまれた刀工の一人である。兼元の名は同銘数代続き新刀期まで及び、今日では技倆もっとも優れた二代を指して「孫六兼元」と汎称している。初代の兼元は文明から永正ごろとされ、三本杉風の刃文は希有であり、所詮三本杉状の互の目を創始したのは二代の兼元であろう。
 二代とされる兼元の刃文は沸主調で尖りごころの互の目の角度に変化があり頭が処々丸みを帯び、互の目の谷に延びる足は刃先にかけだし風の気配をみせるところがあり、処々に三本杉風になるところがあるなど画一的な刃文にならないのが特徴とされ、刃中は砂流しや金線はいるなど総体に素朴で野趣に富んだ様相を示す。後代の兼元は匂い本位の尖り刃が三つずつ規則的に並び所謂、真の三本杉を形成しているのが特徴とされている。
 二代兼元の製作期間は大永・享禄(1521-31)頃を中心として天文頃(1554)までと考察されている。鷹の羽の鑢目や入山形の茎尻を形成する特徴から関出自説が有力視されている。所謂、関出身の初・二代の兼元は良質の赤鉄鋼を需めて赤坂の地へと出向して制作し、二代の後年、永正二十年頃に望郷の地である関へと来郷したとの説である。
 二代とされる兼元の銘は闊達かつ堂々としたもので、初代に比して総体に大振りで「兼」の肩がやや角張り「元」は第一画を右から左へほぼ横向きに切り、第三画の跳ね部分に打ち鏨を打ち、四画目は少し下方から切り始める。秀吉は諸将に下賜する刀として兼元を採り上げ、青木一重佩刀の『青木兼元』をはじめ福島正則や山之内一豊が兼元を下賜され愛用した。また前田家伝来の『二念仏兼元』や亀山藩主石川家伝来の『地蔵切り兼元』など切れ味の良さを物語る逸話がある。

附)黒漆刷毛目千段巻鞘小さ刀拵拵全体写真刀装具各部拡大写真
  • 白鮫着せ白茶色細糸菱巻柄
  • 縁頭:月下水以舟図、四分一地、片切彫、銘 友光(花押) 彫錐
  • 目貫:飛脚図 銀・赤銅地容彫色絵
  • 鐔:桜花図、鉄地障泥形 磨地、金象眼
  • 小柄:牡丹獅子図、赤銅高彫色絵
  • 金着腰祐乗鑢はばき
白鞘付属
参考文献:
杉浦良幸『美濃刀工銘鑑』里文出版 平成二十年
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀の研究』里文出版 平成十八年
 
短刀 銘 兼元
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