S27184(W7594) 脇指 銘 兼房作 附)色々塗印籠刻鞘小さ刀拵 |
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古刀 室町時代末期 (永禄頃/1558~) 美濃 刃長 35.7cm 反り 0.5cm 元幅 30.3mm 元厚 5.5mm |
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剣形:平造り、庵棟。元身幅広く寸のびてふくらが張り先反りのつく勇壮な姿。表裏には茎に掻流し棒樋の彫物がある。室町時代末期の造り込みを明示している。(刀身拡大写真) 鍛肌:地鉄、板目にやや大きめの杢目、流れを交じえてやや肌立ち、地沸つく。 刃文:表裏よく揃った小沸の刃縁がよく締まった大乱れの焼刃。やや低めの焼きだしに尖刃・小互の目を交え、高く盛り上がる波濤には飛沫の跳焼があり、中頃より上は所謂『兼房乱』と称される背の高い腰の括れた丁子刃となり躍動感に溢れる焼刃。刃中は匂い充満して処々に互の目足入り葉浮かぶ。 帽子:焼刃強く、高く闊達に乱れ込んで跳び焼きかかり火炎風に先尖り返り深い。 茎:生ぶ、目釘孔二個。栗尻張る、檜垣の鑢目。棟肉平にここには浅い勝手下がりの鑢目がある。指表やや棟寄りには細く鋭利な鏨使いで三字銘『兼房作』とある。 兼房は室町期の美濃物にあって戦国武将の信頼厚く、兼定・兼元に次ぐ著名工である。関七流中の善定派に属して名高い。本作のように『兼房乱』と呼称される刃文を創出している。 『日本刀銘鑑』によると、もっとも古い作例として『兼重の子、永享(1429-)頃』、『兼常門、嘉吉(1441-)頃』とある。年紀作としては文明元年紀より始まり、この作品を事実上の初代としている。文明十二年・十四年紀の兼房を二代、『校正古刀銘鑑』に記述されている大永七年紀の石見守清左衛門兼房を三代とし、永禄頃(1558-69)を四代、永禄・天正頃(1558-91)頃を五代と分類がなされている。 同時代の兼房作品中には最も得意とした『兼房乱』を焼くものが多く、ほかの関鍛冶たちも兼房に範をとったものがある。宗家以外にも兼房を名乗る刀工は神戸(安八郡神戸町)に住したものや、犬山城下で作刀したものがある。 三代石見守清左衛門兼房の三男「河村京三郎」は天文三年(1534)、岐阜にて生まれ、後『若狭守氏房』を名乗り、尾張国清洲の城主、織田信長に仕えて抱鍛冶となっている。 表題の脇指はその作域と鋭利な鏨使いの銘振りより永禄頃の兼房の作刀で他作に紛れることのない典型。裁断に適した大振りで重ねの薄い造りこみは凄味がある。洗練された『兼房乱』に自由闊達な『波濤刃』を表した焼刃は同工の高い技量と、戦国武将の婆娑羅の気風が想い偲ばれる。 附帯する色々塗印籠刻鞘小さ刀拵は、親粒を配した白鮫を着せて細糸組上蛇腹に巻き締めた柄には色絵鮮やかな若松正月図の目貫に尾張興善寺の縁頭を配し、古雅な尾張鐔が付されている。 艶やかな色々塗分印籠刻鞘には芦鷺図二所 銘 龍池軒栄随を配して華美で贅沢な尾張様式拵(拵全体写真・各部拡大写真・二所物拡大写真)
参考文献: 鈴木 卓夫、杉浦 良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版 平成十八年 若山 猛 『刀装金工辞典』雄山閣、1984 |
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