T121879(T5993) 短刀 無銘 手掻包俊 附)金磯草塗合口短刀拵 |
特別保存刀剣 |
古刀 南北朝時代(永徳頃/1384〜) 大和 刃長28.5cm 内反り 元幅25.2mm 元重5.9mm |
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剣形:平造り、三つ棟。寸延びてふくらやや枯れごころ、身幅重ねともに尋常にやや内反りの姿。表には茎に掻き流しの棒樋に梵字の彫物、裏には護摩箸に梵字の彫物がある。(刀身拡大写真) 鍛肌:柾目肌、処々杢目をまじえて潤いのある美麗な鍛肌。精緻な地錵がついて沸映りがたち地景沸いて鉄色冴える。 刃紋:区上で焼落として小乱れ・ほつれる刃を交え沸出来の広直刃。刃縁の小沸は頗る強くついて、刃中は匂い深く充満して足・葉浮かんで明るい閃光を放つ。地に湯走りがかかり太い地景入り、棟にも湯走りごころのところがある。 帽子:直ぐに焼き高く中丸となり深く返り棟に焼き下げる。 中心:生ぶ、無銘。刃長に比してやや短めの茎には僅かに反りがついて振り袖風。茎尻は切。刃側は鋭い肉置きで棟に小肉がつく。鑢目は浅い勝手上がり、茎孔参個。 大和伝は平安末期頃の千手院派の出現を経て、鎌倉時代中期・末期に当麻、手掻 、保昌、尻懸の四派が加わり大和五派を形成した。 手掻派は大和伝のすべてが寺社勢力に帰属したなかでも、東大寺に属して僧兵への供給をしたために、東大寺の西の正門である 初代包永は鎌倉末期の正応(1288)頃、大和国手掻派屈指の名匠で名物の『児手柏』や岩崎家所蔵の国宝を初め名作を残しているが、その太刀の殆どは磨上げられている。以降、兼清、包次、兼氏など同名数代は室町時代中期の寛政頃(1460)まで続いている。一派の南北朝時代までの作品を『手掻』、室町時代の応永以降の作品を『末手掻』と呼称して分類している。 『包俊』は銘鑑によると『包行』の門人で、南北朝時代永徳頃(1381〜)という。手掻派は大和五派中最も沸が強く、地鉄が明るく冴えるのが特徴で、本作のように刃長やや延びごころでやや内反りの整った体躯をして、地鉄は美しい鍛肌を魅せて一面に厚く敷き詰められた地沸に力強い地景が織り成す景観から、手掻派のとりわけ『包俊』の極めは首肯できる。同派の志津三郎兼氏(初銘『包氏』)や相州上工の趣きも持ち合わせており、地刃ともに頗る明るく冴えて出来がよい。 附帯の金磯草塗合口短刀拵は幕政時代に製作されたもので当跡や傷なく完存の優品である。 附)金磯草塗合口短刀拵 (拵全体写真表)(拵全体写真裏)(刀装具拡大写真)
参考文献: 本間順治、石井昌國 『日本刀銘鑑』 雄山閣、昭和五十年 |
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