T284983(S1521) 刀 無銘  為継 附)黒蝋色塗鞘天正打刀拵 特別保存刀剣
古刀 南北朝時代(応安頃/1368~) 越中
刃長 69.6cm 反り 1.2cm 元幅 27.9mm 先幅 23.1mm 元厚 6.8mm
剣形:鎬造り、庵棟。身幅尋常に元先の幅差目立たず反り浅めにつき大峰に結ぶ。やや薄めの重ねに鎬筋より棟にむかって肉を削いだ姿形は目立って大きな切先がより鋭利な体躯を感じさせる。表には腰樋、裏には二筋樋を掻く。(刀身拡大写真
地鉄:大板目肌に処々に杢を交じえ渦巻き、総体に柾目ごころの肌目たち、地景入り地沸が厚くつく。
刃文:湾れ主調に小互の目・尖りごころの刃を交じえる。物打ち上方は焼刃の高い大互の目となり、沸より厚くつき匂い深く沸足はいり金筋、稲妻、砂流しがさかんにはいり明るく冴える。
帽子:乱れ込んで掃きかけて焼詰めごころ。
茎:大磨上、無銘。鑢目勝手下がり、目釘孔三個、茎尻切。
 為継は南北朝時代、越中、郷義弘の子。正宗十哲の筆頭に挙げられた名匠として知られた父、義弘は早世であったため、同門の則重に師事したと伝えられている。延文二年(1357)および応安二年紀(1370)を有する『越前国藤原為継』銘の作が押形にみられ、また実在する作に応安六年紀(1373)の『濃州住藤原為継 応安六年癸丑六月日』銘の脇指があることから応安二年より同六年(1370~73)の間に、越前国から交通・軍事上の要地である美濃国不破郡(現、大垣市赤坂町)に移住したことがわかる。
 美濃国は荘園制度の崩壊による豪族土岐氏の勢力拡大に伴って武器需要が増大したのを背景に、南北朝時代初期に『志津三郎兼氏』が大和国から多芸郡志津(現、養老郡南濃町志津)に来住、同じ頃『金重』は越前国より関へとそれぞれ移住してきており、『為継』もまた『国長』・『国行』らとともに赤坂の地に来住して以降、美濃国の刀鍛冶は隆盛期を迎えるようになる。
 同工の作柄は郷義弘を髣髴させて、父の姿よりさらに浅く反りがつき、身幅より広く、重ね薄めに大峰のびた相州伝盛期の姿をしているものが多い。鉄色やや黒みがかり、肌目に沿って白くかすだった所謂『北国地鉄』をみせる。地鉄の鍛えは則重に学んだ関係で、渦巻き状の松皮肌の肌合いを観取でき、柾目ごころの流れ肌を交えるものである。

黒蝋色塗鞘天正打刀拵 (拵全体写真拵各部拡大写真
  • 白鮫着金茶色細糸組上菱巻柄
  • 目貫:龍図、容彫、金色絵
  • 縁頭:賢人図、赤銅魚子地高彫色絵 銘 干英子 野村包教
  • 鐔:韃靼人図、鉄地肉彫地透、金銀赤銅象嵌、金覆輪、銘 久則

金着二重はばき、白鞘付属
参考資料:鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里分出版、平成十八年
刀 無銘 伝 為継 附)黒蝋色塗鞘天正打刀拵
刀 無銘 伝 為継 附)黒蝋色塗鞘天正打刀拵
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