T304516(T8593) 短刀 銘 藤原氏房作 附)黒蝋色雪華紋陰蒔絵鞘合口拵 保存刀剣
古刀 室町時代末期(元亀頃/約440年前) 尾張
刃長22.7cm 筍反り 元幅23.2mm 元重5.6mm
剣形:平造り、庵棟。筍反り。重ねは尋常に、身幅、刃長がやや小振りの短刀。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌に杢目肌、柾交じりの地鉄にやや白けた映りが起つ。
刃紋:匂勝ちに小沸の付いた広狭ある互の目乱れ。背の高い互の目の尖り刃の頭は平地に煙り込む様で、地斑調の映りとなる。
帽子:互の目のまま乱れ込んで地蔵風となり、返りが深く棟焼に繋がる。
中心:生ぶ。茎尻が刃側が丸く、棟側が角となる。鑢目は大筋違。茎孔弐個。
若狭守氏房は天文三年(1534)、関七流中の善定家である清左衛門兼房の三男として岐阜に生まれた。姓は河村、名を京三郎と称し、初銘を「兼房」という。弘治二年(1556)、長兄の岩見守国房より善定家の惣領を譲られて嫡子となり名を清左衛門と改め、美濃国関に移住している。永禄十三年(1570)四月十九日、三十七歳の時に清左衛門少尉に任ぜられ「氏房」と改め、三日後の二十二日には若狭守を受領している。
尾張国清洲の城主、織田信長に仕えて抱鍛冶となった。天正五年(1577)、信長に従い近江国安土城下で駐鎚。同十年(1582)六月二十一日、本能寺の変で信長自害の後は岐阜に帰郷して織田信孝の扶持を受け、同十二年(1584)尾張国清洲城下で蟹江城主、佐久間正勝の扶持を受けて鍛刀に励んだ。
同十八年(1590)五月十一日没、享年五十七。名古屋大須門前町の東蓮寺(現在は昭和区八事に移転)に睡る、法名『前若州大守良屋宗善居士』。
熱田神宮には「氏房」に改名する前の代表作で愛知県の指定文化財、太刀 銘 「河村京三郎 濃州関住兼房作」、刀身に切付銘で「永禄十一年二月吉日 奉寄進熱田太神宮 兼房房作」がある。また、織田信長の安土城築城後に駐鎚した脇指 銘 「若狭守氏房 江州安土住人」がある。
本作は「氏房」改銘後の元亀元年〜天正頃にかけての作であり、その茎尻仕立てや字体に大小の変化が見られないことなどから、氏房後年の作であると推量することができる。初代氏房の手になるこの短刀の地鉄は、板目肌が柾目状に流れ、大杢目状の地景が入って綺麗に肌起つ。互の目の頭より煙りこむように地斑調の白い映りが起ち、しっとりとした肌合いを呈する。
附帯の黒蝋色雪華紋陰蒔絵鞘合口拵は江戸時代後期の作品と鑑することができる。
総金具銀磨地一作(縁、頭、合口、差込目貫、栗形、瓦、鐺、小柄、笄)、黒漆革塗平巻柄、金鯱図目貫 赤銅容彫金色絵 小刀 銘 濃州関兼門
黒蝋色漆塗鞘は深くすきとおり雪華紋の陰蒔絵が散りばめられて、総金具燻銀地の渋い色合いに同調して美しい。金鯱図の出し目貫は赤銅容彫金色絵として、黒漆塗の柄によく映える。
織田信長に抱えられた本作者、初代の氏房以降、尾張名古屋城下に活躍の場を定めた氏房家嫡子は尾張藩工として江戸時代中期、五代まで栄えている。内外ともに完存の優品である。
時代金着せはばき、白鞘付属。