T57747(S5898) 刀 銘 冬廣作 保存刀剣
古刀 室町時代末期(永禄頃/1558~) 若狭
刃長 69.4cm 反り 1.4cm 元幅 31.6mm 先幅 23.7mm 元厚 7.2mm
剣形:鎬造り、庵棟。重ねが厚くやや浅めの反りがつく。元身幅広く元先の幅差さまで開かずに大峰に結ぶ。鎬地幅に比して平地が広く、平肉のつかない体躯は南北朝時代の姿を彷彿させ、戦国時代最末期に流布した力強い体躯をしている。(刀身拡大写真
彫物:表裏には樋先下がり、はばき上で丸留の棒樋の彫物がある。
鍛肌:板目肌総体に肌立ち刃寄り柾ごころ。
刃紋:沸主調の湾れに小互の目・尖り刃・箱刃を交えて、刃縁には小沸厚くついて金線、砂流しかかる。刃中は匂い深く充満して互の目の太い錵足がよくはいる。
帽子:焼刃高く強く乱れ込み先中丸。
茎:生ぶ、茎目釘孔三個(内二個埋)。刃長に比してやや短めのに茎先を絞って舟底風となる。鑢目は極浅い勝手下がり、棟肉平でここには勝手下がりの鑢目がある。佩表の鎬地よりには独特の書体で大振りの三字銘『冬廣作』がある。

 冬廣は相州廣次三代の子として伝えられる。相州に学んだ後に若狭に移住して西国武将の信頼厚く、増大する需めに応じた著名刀工である。 時代を同じくして若州、伯耆、備前、備後、出雲の地で駐槌している。茎の形は本作例のように相州風の舟底風のものと末備前風のものがある。
 新刀期になると冬廣の系譜は山陰から山陽にかけての城下町にて末葉らが活躍してその名跡を代々受け継ぎ、新々刀期には若狭国冬廣十七代孫と称する高橋長信がでて松江藩工としてその名を挙げている。

 この刀は大鋒で、重ね厚い堅強な造り込みに、棒樋を掻いて平肉を落として重量を調整した実利を目したいかにも物切れのする体躯をしており桃山時代の典型である。茎の腹を張らせて先を絞る舟底風の茎仕立てに「作」の字を小さく刻する雄渾な銘の鏨運びから永禄頃の藤佐衛門尉冬廣の作とおもわれる。
金着せ二重はばき、白鞘入
 
刀 銘 冬廣作
刀 銘 冬廣作
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