刀 銘 備前国住長船祐定 天正七年二月日
A837(S1293)
古刀 室町時代末期(天正七年・1579年・約430年前) 備前
刃長67.3cm 反り2.0cm 元幅31.8mm 先幅20.7mm 元重7.0mm
消費税含


剣形:鎬造り。庵棟はやや低い造り込み。重ねが厚く、鎬筋が高い造り込みで、鎬地の肉置きが棟に向かって削ぎ落とした頗る健躯かつ強固な打刀。(刀身拡大写真)
鍛肌:板目肌に杢目を交え、流れる肌合いもあり、古雅な鍛え肌を呈して元先におよび明瞭な沸映りが浮かび地斑調子の乱れ映りが発つ。
刃紋:小沸厚く付いて湾れに小互の目、小丁字刃を交えて、物打ちは沸匂ともより深く、此処に金線、砂流よくかかり明るく冴える。
中心:生ぶ。茎尻は栗尻張る。茎孔壱個、鑢目は勝手下がり。掃表の鎬地寄りに「備前国住長船祐定」掃裏は二字分下がって年紀「天正七年二月日」とある。
帽子:先は火炎風に砂流しかかり、突き上げて小丸に返る。
天正元年(1573)足利義昭が織田信長に追放され室町幕府が滅び、時代はまさに群雄割拠、羽柴秀吉が中国攻め(天正五年・1577)を始めた。当国の戦国大名である宇喜多家・直家と実子の秀家は秀吉軍の配下として天下統一に参戦した。天正十年(1582)の「本能寺の変」(中国の毛利氏と対戦中の羽柴秀吉を救援しようとして京都本能寺に宿泊した際、出陣の命を受けて先発していた明智光秀が反逆して丹波亀山から引き返し信長を襲って自害させた)により信長は無念の運命を迎える。
戦国動乱期に求められた打刀は強固な造り込みの堂々たる打刀で本作のごとく身幅広く、先幅も十分に重ねが厚く、鎬筋も凛として高い中切先の延びた強固たる姿を有している。当に安土桃山時代を生き抜いた戦国武士の誉れであり代々温存されたものであろう。今回の出品にあたり研師により仕上げ研ぎがなされた。肉置きも豊かな刀身に茎の銘鏨跡や鑢目も明瞭な完存の祐定である。
時代銅銀着せはばき、白鞘入り
重量: 5000.00 gms