Tuba2751a

水月図透鐔

無銘 柳生写し(江戸末期)

障泥形、鉄地、鋤出肉彫、地透、両櫃孔

縦 74.1mm 横 68.7mm 耳 5.6mm

保存刀装具鑑定書

『柳生鍔』の呼び名は尾張剣術指南役であった柳生連也厳包の創意により当時の尾張名工を督して武道の極意を擬した鐔を造ったという。厳包は寛永二年(1625)利厳の三男として名古屋に生まれる。新陰流の指南役として尾張徳川家に出仕した。寛文八年(1668)に禄を辞し隠居後は陶工・鐔工として柳生新陰流の極意を創始した。元禄七年(1694)十月歿、享年七十。

連也仕込の本歌を『柳生鍔』と称し、尾張柳生家を以て二期・三期と後代にわたって製作されたものを『御流儀鐔』と称している。有銘の作品はない。

この鐔は月が一枚波の中に配され水月図または月陰図と呼ばれる。大振で刃側の張った切羽台は中低となり一枚波濤は力強く骨太角耳でおたふく形とよく調和している。江戸時代末期、所謂三期に分類される『御流儀鐔』であろう。尾張における柳生鍔の名声は連也の声望と人望によるもので異色の鐔といえよう。