G63780(S6101)

刀 無銘 下原康重 附)黒蝋色塗竹文鞘打刀拵

古刀 室町時代末期 (天正頃/1573~) 武州
刃長68.3cm 反り1.8cm 元幅29.2mm 先幅21.8mm 元厚7.2mm

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附)黒蝋色塗竹文鞘打刀拵

剣形:鎬造り、庵棟。大磨上げ。やや深めの反りがついて元先の幅差さまで開かず中峰延びる。重ね厚く鎬筋高く、棟に向かい肉を削いで平肉付いた重厚な手持ち。(刀身拡大写真
彫物:表裏には樋先下がり、茎の中程で丸留めとなった棒樋がある。
鍛肌:大杢目肌処々流れて連なり綾杉風となり鍛肌顕著。地沸ついて杢目・板目状の太い地景が織りなす強靭な地鉄。
刃紋:湾れに小互の目,小丁字に処々尖り刃を交え、刃縁に沸厚くついて互の目足刃先に放射し砂流し、金線かかる。
帽子:小乱れ先掃きかけて中丸に返る。
茎:三寸五分程(10.5cm)の大磨上げ無銘、茎尻は浅い栗尻。目釘孔三個。茎にもやや深い反りがある。生ぶ鑢目は勝手下がり、磨上げ部分は切の鑢目。棟肉平でここには大筋違の鑢目がある。

 武州下原鍛冶の宗家、『康重』は永禄六年生まれ、名を山本藤左衛門、万治元年九十五歳の長寿にて歿と伝えられる。相州小田原鍛冶の綱廣の門人山本但馬周重(ちかしげ)の弟。はじめ周重(ちかしげ)と銘し、のちに小田原城主、北条氏康より康の字を賜り『康重』と改銘した。武州多摩郡下恩方(しもおんがた)の下原の地に来住鍛刀した。彼等を庇護した領主は管領山内上杉家の武蔵守護代の大石氏、上杉家を破り関東を制圧した小田原北条家、さらには豊臣秀吉による小田原城陥落の後北条氏滅亡(天正18年)以降は徳川家から旧領を安堵され、幕府の御用鍛冶として幕末まで鍛刀が続けられた。同派からは照重、廣重、正重、宗國、安國、利長などの刀工が出自して最盛期には『下原十家』といわれるほど繁栄した。室町時代から江戸時代末まで続いた武蔵国唯一の刀工群である。
 安土桃山時代に隆盛した相州伝の豪壮な体躯は磨上げながらも重ね厚く平肉がついて、物打付近の身幅張る勇壮健全な体躯。強靭な大杢目鍛の地鉄は渦巻き連なり綾杉状の地景を織りなしている。互の目乱れの刃縁には沸がよく絡んで、足が放射して金線、砂流しがかかるなど闊達な沸の働きがを観取できる。元先の重ね頗る厚く重厚な刃肉を保持しおり名だたる戦国大名に仕える尚武臣下の佩刀にふさわしい。戦国時代末期、同派相州伝の優れた技量をいまの世に伝えている。

附)黒蝋色塗竹文鞘打刀拵(拵全体写真刀装具拡大写真
  • 縁頭:花鳥図、赤銅地、高彫、金色絵、無銘
  • 目貫:唐人図、赤銅容彫色絵
  • 鐔:竪丸形、無文、山銅磨地、無銘
  • 柄:白鮫着萌葱色常組糸諸撮菱巻
金着二重はばき、白鞘入り
参考文献 :
本間薫山、石井昌國 『日本刀銘鑑』 雄山閣、昭和五十年
後藤安孝 『武州下原刀図譜』