T254478(W5011)

小脇指 銘 石州出羽住貞行 附)黒蝋色印籠刻鞘合口拵

古刀 南北朝末期至室町初期 (応永頃/1394~) 石見
刃長31.6cm 反り0.3cm 元幅28.6mm 元重5.0mm

特別保存刀剣鑑定書

附)黒蝋色印籠刻鞘合口拵

 

剣形:片切刃片平造、庵棟。表は切刃に裏平造り、重ね薄めに浅めの反りがついてふくら枯れごころの小脇指。茎にも僅かに反りがある。南北朝時代末期から応永頃の高位に均整のとれた体躯をしている、(刀身拡大写真
彫物:表には二筋樋、裏には茎に掻流しの棒樋の彫物がある。
鍛肌:板目肌に杢交え肌立ちごころ。平地には地沸がつき地景入り地鉄強く冴える。
刃紋:沸出来の大互の目の腰刃を焼いて、広直刃浅く湾れてほつれる刃や二重刃を交え、刃縁に小沸厚く積もり刃中は明るい匂いが深く充満する。
帽子:焼き高くふくらに沿って中丸となりやや深く返る。
茎:生ぶ、目釘孔四個(内壱個埋)。僅かに反りのついた茎は刃側を削いだ舟底となり茎尻を剣形に結ぶ。鑢目は大筋違で棟肉は平。佩表には大振りで古雅な鏨運びの長銘『石州出羽住貞行』とある。

 『石州出羽住貞行』は石見国(島根県西半部)の刀工で正宗門『石州直綱』の門人という(注)
『直綱』と『貞行』、両工の居住地は石州出羽(いずわ)で、現在の島根県邑南町出羽(いずわ)にあたる。『貞行』には康正頃(1455~)の同銘二代がおり、『石州長浜住貞行』などと銘をきることから石見国中部、広く湾曲した浜田湾の南側に位置する長浜で鍛刀した。
 この小脇指の作風は南北朝期に流布した均整とれた片平切刃造をしており、少し黒みがある板目鍛の地鉄に杢を交えて地沸つき、地景が入る相州伝の作風が明白。生ぶ在銘の茎は六百数十年におよぶ漆黒の錆味を保持し、鉛埋された第二と第三の孔は瓢箪形、茎尻の第四目釘穴は表裏から鏨で穿かれ、表は〇で裏は□となる古雅な鏨孔は南北朝期の雅趣溢れる。駐鎚地を添えた『石州出羽住貞行』の明瞭な鏨運びの銘は現存稀有であり資料的価値が高い。
 身幅広く健全な体躯を湛えた同工最高峰の作域を明示する優品である。

附) 黒蝋色一分刻鞘合口拵拵全体写真 拵全体写真 刀装具拡大写真
  • 総金具: 雲文図(縁頭 鯉口 裏瓦 鐺)雲文図 銀磨地 毛彫 赤銅色絵 無銘
  • 小柄:老松図 銀磨地 片切毛彫 裏哺銀地五月雨文 銘 友則作
  • 柄:黒漆皺革平巻 銀地飾目釘
時代金着一重はばき(金着には処々破れがあります)、白鞘付属
注)左文字の師伝を継承した門人達(安吉、行弘、国弘、吉貞、弘行、弘安、貞吉、吉弘、定行など)を総称して『末左』と呼称している。
注)正宗十哲:『古刀銘尽大全』には、備前兼光・備前長義・左文字・郷義弘・濃州金重・長谷部国重・志津三郎兼氏・越中則重・来国次・石州直綱の十人の刀工等を連ねて『正宗十哲』と伝える
注)『直綱』は『盛綱』の子で、末左派『貞吉』の門人と云われる

参考文献:
本間薫山・石井昌国 『日本刀銘鑑』 雄山閣、昭和五十年