H125785(T3188)

短刀 銘 美濃国住人兼国 天文十二年八月日 附)潤塗鞘雨龍図合口短刀拵

古刀 室町時代後期(天文十二年/1543)美濃・播磨
刃長18.9cm 筍反り 元幅22.7mm 元重7.8mm

特別保存刀剣鑑定書

附)潤塗鞘雨龍図合口短刀拵

 

剣形:両刃造り短刀、筍反り。寸詰まり尋常な身幅に鎬高く、元重厚くついて、先の重ねを薄く仕立て、刺突に好適な造り込み。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌よく錬れて詰み地錵つく。
刃紋:大互の目乱れ、箱刃交え足入り、小沸出来、乱れの谷に沸凝り砂流し、金筋さかんにはいる。処々跳び焼き。二重刃かかり、刃中は匂深く充満して葉浮かび、地刃ともに沸・匂の豊かな働きがある。
帽子:焼刃強く、刃沸豊かについて火炎状に湯走りかかる。
茎:僅かに区送り。茎長11.8cm。目釘孔貳個。鑢目は檜垣。茎尻は刃上がり栗尻。細鏨で『美濃国住人兼国』の長銘が刻され、裏には『天文十二年八月日』の制作年紀がある。

 『兼国』は美濃国関、三阿弥派の刀工で、現存するものでは享徳年紀が最も古く、以降は数代に亘り同銘の作刀を慧眼する。天文頃になると、同工『兼国』は、濃州関から播州赤松氏配下の有力家臣であった別所氏が治める三木、淡河(おうご)城下(現、兵庫県神戸市北区淡河町淡河)に出向して作刀し、別府(べふ)(現、兵庫県加古川市別府町)にても駐鎚したようである。
 千種川の真砂を卸鉄に用いたのであろうか、地鉄は美濃物に観られる白け映りでなはく、地沸よくつんで強く冴えている。大五の目乱れを焼く両刃造り(もろは)短刀は、姿均整とれて地刃の出来優れる。
 両刃造り(もろは)は室町時代末期に造られるようになる。戦国時代の接近戦で甲冑組討の時に右手で素早く抜くために右手指(めてざし)(馬手指とも書く)と言って、右側に短刀を指して逆手に持って抜いて猪突するには棟則にも刃がある両刃造りが好都合であったという。

附)潤塗鞘雨龍図合口短刀拵(拵全体写真 /刀装具拡大写真
  • 総金具(縁頭・鞘合口金具・鐺)雨龍雲文図、真鍮地、鋤彫、無銘
  • 目釘:鍍金飾目釘
  • 柄:朱黒塗出鮫着
金着一重はばき、白鞘付属
注)戦国時代の美濃国には土岐、斉藤、明智をはじめとする豪族や隣国の尾張は織田、甲州の武田、三河の徳川、駿河の今川、関東の北条、上越の上杉などの武将のほとんどが美濃国の刀鍛冶のお得意先となり需要に応えた
参考文献:
杉浦良幸『美濃刀工銘鑑』 里文出版 平成二十年九月十五日
鈴木卓夫・杉浦良幸 室町期美濃刀工の研究』 里文出版 平成十八年五月十一日