K6998(W2226) 筑前住権三兵衛守次造之 宝永五戌子二月日 特別保存刀剣
新刀 江戸時代中期(宝永五年/1708) 筑前
刃長 45.5cm 反り 1.5cm 元幅 26.2mm 先幅 18.7mm 元厚 6.7mm
剣形:鎬造り、庵棟。鎬高く平肉ついた体躯は身幅、重ねともに尋常ながら、量感豊かに元先の幅差頃合につき深めの反りがついた均整とれた造り込み。(刀身全体写真
鍛肌:小板目肌が密に詰み、精緻な地景が入り地沸が厚くついて潤い、乱れ映りが明瞭にたつ。
刃文:小互の目で焼きだし、同工独特の頭の尖った『烏賊の頭』と称される刃に逆がかった丁子・袋丁子・重花丁子を交えて処々飛び焼きかかる。高低起伏に富み、中頃から物打にかけての焼刃は鎬筋までおよぶ。刃縁は純白の小沸が密に締まりいちだんと明るく冴え、逆足が頻りと刃先に放射し、僅かに砂流しかかり、葉浮かぶ。地刃共に清涼に冴えて豊富な小沸の働きがある。。
帽子:焼き高く乱れ込んで中丸に返る。
中心:生ぶ。目釘穴壱個。茎の刃方は僅か舟底風に肉を卸して先を細めて栗尻張る。鑢目は角度の深い大筋違。棟小肉ついてここにも大筋違の鑢目がある。茎の錆色良好に保存状態優れ、佩表の鎬地寄りには同工特有の書体で『筑前住権三兵衛守次造之』の長銘。裏には二字分下がって『宝永五戌子二月日』の製作年紀がある。
 武勇の誉れ高い黒田長政は備前福岡から筑前五十万石の藩主となったおりに、一文字則宗十六代の『是次』を当国の福岡筥崎に招聘して作刀を奨励した。明暦元年、『是次』は藩命によりに江戸に上がり、武蔵大掾石堂是一より備前伝丁子乱れを学ぶこと三年、筥﨑に戻り筑前福岡石堂家を興して黒田藩工となる。
 この脇指の作者である『守次』は是次の従兄で延宝八年に是次の養子となり黒田藩工の家督を相続した。同じく藩工の筑前信国派を向こうに匂本位の華やかな大丁子乱や逆丁子を焼く備前伝の優工である。
 五十万石を有する筑前黒田家は筑前石堂派および同国信国派を黒田藩士のみの御用鍛冶として独占し、藩外への販売を許さなかったという。精鍛数は肥前刀に遠く及ばず現存慧眼する機会は稀である。
 本作は大小の小として黒田藩士により特注された一口。吉岡一文字に範を採り、常に慧眼する同工の体躯に比して腰反りが高くついて、鮮やか立ち込める古調な乱れ映りが顕れる。絢爛豪華な丁子乱れが鎬筋までおよんで、姿・地刃ともに頗る健全に躍動感漲る同工大成期の屈指の出来映え。茎の錆味良好に鑢目・隠鏨は頗る鮮明。表裏に刻された銘文の鏨枕が明瞭な完存の優品である。
金着一重はばき、白鞘入
 
筑前住権三兵衛守次造之 宝永五戌子二月日
 筑前住権三兵衛守次造之 宝永五戌子二月日
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