N071317(S2844) 刀 銘 葵紋 康継以南蛮鉄 於武州江戸作之 (江戸三代)
附)黒蝋色板目文蒔絵鞘半太刀拵
特別保存刀剣
新刀 江戸時代前期 (寛文頃・1661〜) 武州
刃長70.6cm 反り1.8cm 元幅32.8mm 元厚7.1mm 先幅21.7mm
剣形:鎬造り、庵棟。重ね厚く鎬筋が凛として高い。身幅広く頃合いの反りがつき、元先の幅差がついて中峰に結ぶ寛文頃に広く流布した打刀姿。裏表には掻き流しの棒樋の彫物がある。(刀身拡大写真
地鉄:地鉄やや青黒づみ、板目の鍛肌目がゆったりと錬れ杢を交え、鎬地は柾目。総体肌立ちごころとなり地沸が厚くついて地景が顕れた強靱な地鉄をして鉄色冴える。
刃紋:刃区はやや低く焼だし、焼刃高い湾れに互の目を交える。刃縁には沸がよくついて荒沸もつき、刃中の匂い深く充満して互の目の沸足よく入り葉が浮かび砂流しかかる。
帽子:直に中丸となり深く返る。
茎:生ぶ、目釘穴弐個。やや長めに僅かに反り、茎尻は剣形。勝手下がりの鑢目。棟肉平にここにも勝手下がりの鑢目がある。

 江戸幕府お抱え鍛冶・康継は初・二代までは江戸と本国越前を隔年奉公を原則としていたが、二代目康悦康継が正保三年に歿すると、康悦の嫡子・右馬助がまだ若年十七歳であったために幕府の御用が勤まらかったことから三代目の家督をめぐる後継争いにおよんだ。さらには江戸・越前の隔年奉公の負担の是非をめぐる問題をも生じたために、三代目にして江戸家と越前家の二家に分かれてそれぞれの地に定住奉公するに至ている。
 表題の江戸三代康継・下坂右馬助は二代の嫡子として生まれのち市之丞と称した。伯父(二代康継の弟)康意康継が後見として成人まで補佐をして江戸康継家を樹立して幕府の御用鍛冶を勤めた。延宝四年(1676)歿、行年四十八の早世であったため作刀は比較少なく寡作の刀工として知られている。
 この刀は身幅広く重ね厚く重量があり伸びやかに中峰にむすぶ強靭な体躯。地鉄は硬軟の鋼がよく錬れた板目に杢目を交えて地景が絡み肌目鮮明に総体肌立つ風を魅せ、鎬地は堅牢な造り込みを期した柾目肌を表出する。平地を微塵に覆う地沸には、これら板目肌の織りなす地景が浮かび上がり凄味がある。浅くのたれる焼幅広い湾れ刃は沸づき互の目足が刃先に向かって放射する同工三代康継の典型。
 康継両家は将軍家の抱工として茎のはばき元に『葵紋』を賜ったが、茎に彫った紋ではなく、本作のようにはばき元に葵紋がくっきりと刻され刀身彫刻として装飾的な趣きがある。茎の状態も完存で地刃に緩みなく、同工の優作である。

附)黒蝋色板目文蒔絵鞘半太刀拵拵全体写真(表)拵全体写真(裏)・各部写真
  • 総金具(兜金・縁・口金・栗形・責金物・石突) 唐草図 赤銅地 金小縁 毛彫 無銘
  • 鐔 葵形 桐唐草図 菊座大切羽二枚 四方猪目透 赤銅地 鋤彫 金色絵 無銘
  • 目貫 獅子香炉図 赤銅容彫
  • 柄 白鮫着 赤黒色常組糸諸撮菱巻
金着太刀はばき、白鞘入り
参考資料:本間順治・佐藤貫一『日本刀大鑑』大塚巧藝社 昭和四十一年
 
刀 銘 葵紋 康継以南蛮鉄 於武州江戸作之 (江戸三代)
刀 銘 葵紋 康継以南蛮鉄 於武州江戸作之 (江戸三代)
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