S962(W5088) 脇指 銘 寿命 附)黒蝋色五分刻鞘脇指拵 |
保存刀剣 |
安土桃山時代(天正〜慶長頃/1573〜1600)美濃 刃長 40.7cm 反り 1.5cm 元幅 32.5mm 先幅 29.4mm 元厚 7.0mm |
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剣形:鎬造り、庵棟。反り浅くつき、身幅広く元先の幅差殆どつかずふくらが張って大切先に結ぶ。鎬筋高くつき、棟に向かい肉を削いだ強靭かつ豪壮な体躯をしている。(刀身全体写真) 鍛肌:流れごころの板目肌に鎬地柾目鍛えの強靭な地鉄は総体に肌たち、白けごころの映りがたつ。 刃文:湾れに互の目・丁子刃・尖り刃交える。よく沸づいて処々溢れて跳び焼きがある。刃中は匂口深く葉浮かび、互の目の沸足を遮り砂流し・金線表出して沸の働き豊か。焼刃は野趣に富み明るい光彩を放ち冴える。 帽子:表裏とも焼刃強く高く乱れ込んで強く掃きかける。 中心:生ぶ。鑢目は切り、浅い栗尻。目釘孔壱個。履表に二字銘『寿命』がある。 戦国時代の美濃国には土岐、斉藤、明智をはじめとする豪族や隣国尾張の織田、甲州の武田、三河の徳川、駿河の今川、関東の北条、上越の上杉などの武将のほとんどは美濃国の刀鍛冶と深い繋がりをもち、彼等は増大する需要に応えるようになる。 『 西郡寿命の末流は大永頃(1521〜)になると、同地の『岩捲鍛冶』に受け継がれた。なかでも近藤助左衛門『岩捲寿命』は清水城主の稲葉一鉄に仕え、その配下の将士の為の刀造りに専念したと伝える。岩捲の名称については起源が明らかでないものの、「岩捲住」と銘をきったものがあることから、元来は鍛刀地名であったのが次第に刀工の部族名に変化したものとも考えられる。 同工は慶長年間に尾張清洲城下鍛冶町に移住し、寛永二年に丹後守を受領して名古屋城下に移り尾張徳川家の庇護を受け、以降幕末の五代まで幕政時代を通じて栄えた名流であった。元来より『寿命』の名は瑞祥銘で縁起がよいために、幕政時代を通じて献上贈答品としても珍重されてきた。 この脇指は天正から文禄、慶長にかけて作刀。同時代の寿命は本作のように身幅頗る広く大切先になった豪壮な姿のものがあり、板目肌流れて柾交じり、白映りのたつ地鉄で鑢目は切り。銘は二字銘『寿命』と鏨をいれる。戦国時代末期の婆娑羅の機運に合致した雄渾な体躯は保存状態良好で、同作脇指中の優作である。 この脇指は幕政時代の制作による生ぶの拵が附帯しており保存状態が良い。今回の出展にあたり柄下地補修と柄糸を新調した。 附)黒蝋色五分刻鞘脇指拵(拵全体写真 佩表・佩裏 / 刀装具拡大写真)
参考資料: 得能一男編纂『美濃刀大鑑』刀剣研究連合会発行、昭和五十年十一月 鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版、平成十八年 岩田 與『尾張刀工譜』名古屋市教育委員会、昭和五十九年 |
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